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年表で辿る歴史の足跡
◆年表で辿る歴史の足跡

縄文時代〜鎌倉時代|室町時代〜江戸時代|明治〜昭和39年昭和40年〜平成

西暦 時代 和暦 日本・島根 飯南町
1338 室町時代 暦応1 足利尊氏、征夷大将軍となる(室町幕府)  
1350 観応1   来島蔵人が由来城において挙兵する
1467 応仁1 応仁の乱起こる  
1514 永正11   花栗弥兵衛が本家蔀山城(高野山)で反乱を起こす
1518 永正15   赤穴氏 尼子氏と主従関係を結ぶ
1521 大永1 この頃、尼子経久の勢力が拡大する  
1541 天文10   尼子晴久、安芸吉田へ遠征するも敗退
1542 天文11  

大内義隆の率いる軍勢が瀬戸山城(赤名)を攻略する

義隆の軍勢は由来(頓原)に1ヵ月滞陣し三刀屋へ進む

1543   ポルトガルより鉄砲伝来  
1562 永禄5   毛利元就が瀬戸山城(赤名)を攻略する
1566 永禄9 毛利元就が尼子義久の富田城を攻略し、尼子氏滅ぶ  
1569 永禄12 山中鹿介らが富田城奪回の戦いを起こす  
1570 元亀 元   毛利輝元、富田城救援の途上、かす坂(都加賀)の積雪を探査
1573 天正1 室町幕府が滅ぶ  
1590 安土桃山時代 天正18 豊臣秀吉、全国を統一する  
1599 慶長4   赤穴氏 中川と改姓
1600 慶長5 関ヶ原の戦い 関ヶ原役により毛利氏退転、中川氏(赤穴氏)長州へ移住
1603 江戸時代 慶長8 徳川家康、征夷大将軍となる(江戸幕府)  
  慶長   堀尾山城守の家臣松田左近将監吉久 赤名瀬戸山城に在番
1611 慶長16 松江城が完成し堀尾吉晴が富田城から移封される  
1634 寛永11 京極忠高、松江城に移封  
  寛永   京極忠高の家臣 山中織部頭休雲赤名瀬戸山城に在番
1638 寛永15 松平直政、松江城に移封 松平直政 出雲の領主となる
1639 寛永16 鎖国が完成  
1648 慶安1   「頓原」の名称が初めて史料に見える
1666 寛文6 松江藩から分封されて広瀬藩・母里藩ができる

飯石郡南部の21ヵ村は広瀬藩領となる

頓原に後の広瀬藩陣屋(郡本)が置かれる

1667 寛文7 松平近栄、広瀬藩主となる このころから、たたら製鉄が盛んになる
1682 天和2   広瀬藩主松平近栄 越後騒動取扱い不調法により半知(1万5千石)召し上げられ 奥飯石は幕領下となる
1686 貞享3   広瀬藩主 召上げ半知の内5千石を還付される
1694 元禄7   広瀬藩主 残る1万石を還付され赤名・来島地域は再度広瀬藩となる
1732 享保17

享保の大飢饉

大森代官井戸平左衛門正明、甘藷栽培を奨励する

 
1753 宝暦3   上赤名村・下赤名村・小田村に百姓一揆起こる
1755 宝暦5   台風のため稲が不作、頓原・赤名で百姓一揆が起こる
1759 宝暦9   台風のため稲が不作、頓原・赤名で百姓一揆が起こる
1783 天明3 天明の大飢饉  
1811 文化8 伊能忠敬、九州からの帰途浜田・大森・赤名を経て三次に向かう

奥飯石21ヵ村、銀銅荷継(助郷)の負担軽減を大森代官所へ訴願する

幕府天文方伊能忠敬実測図作製のため赤名を訪れる

1820 文政3   大森銀山銀銅荷継訴願終結
1866 慶応2 第2次長州征討 広瀬藩が飯石郡防衛の兵を頓原に置く
1867 慶応3 徳川慶喜、大政奉還(江戸幕府が滅ぶ)  

明治・大正へ続く

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