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飯南町だより
 ◆飯南町だより

 飯南町に残る西南戦争従軍記〜西郷隆盛の最期                                          

 みなさん、NHK大河ドラマ『篤姫』、みていらっしゃいますか?今度の回(12月14日放送)でいよいよ最終回ですね。
 
 江戸から明治へ・・・まさに激動の時代。懸命に生きた人々の姿が魅力的に描かれています。『篤姫』にも登場していますが、みなさんご存知の西郷隆盛もそのうちの一人と言えるではないでしょうか。江戸城無血開城の立役者、明治政府の参議兼陸軍大臣となった西郷でしたが、大政奉還から10年後、西南戦争に敗れ、自害してしまいます。
 
 明治政府軍と九州の士族を中心とした西郷軍によるこの戦いには、全国から徴兵された人々が陸軍兵(明治政府軍)として西郷軍討伐に加わりました。
 
 飯南町の岡田清太郎さん(故人)もその一人でした。岡田家には清太郎さんが残した西南戦争従軍日記が残っています。

 日記によると
 
 清太郎さんは、23歳の時(明治9年)に徴兵検査に合格、広島 鎮台第11連隊第2大隊に入隊、翌年から始まる西南戦争に参加しました。明治10年4月には下関を経由して福岡に上陸、大将(指揮官)の有栖川宮熾仁親王に従って、西郷隆盛の最後の地となった鹿児島の城山まで戦いに従軍しました。

 いずれの場面も、時間・場所・双方の戦力・戦いの流れなど詳しく記録されています。また、西郷隆盛をはじめ、桐野利秋、村田新八といった歴史の教科書に出てきそうなビッグネームも登場し、ちょっとびっくりです。

 

 
 西南戦争最大の激戦地として知られる「田原坂」の戦いでは、船で兵を峠の向こうへ陸揚げし、田原坂を包囲するように西郷軍に攻撃を仕掛けた様子、鹿児島の市街戦では、鹿児島湾に13隻の軍艦を配置、砲撃し敵を威圧する様子(従軍記は「ウミノナカニ ジョウキガ 拾参バイ、皆トメテ 左ノヒラヲ デンキノ 火デフク」と記しています。)など興味深い部分も多く掲載されています。
 
 中でも、西南戦争の最終局面、西郷隆盛が城山に追い詰められ、自害に至る場面は、歴史資料としても価値が高いと思われます。(西郷の死を隠すために)首を落とされた(西郷と思われる)遺体を駕籠で運ぶ場面、西郷の首を高い石垣の下で発見する場面、「身長5尺6寸」「マヒゲイチノジ」「メジリナガシ」「ハナ大 クチコマシ」「左の肘ニタテキズアリ」などと有栖川宮の前で遺体を検視する様子も生々しく記されています。
 ※西郷隆盛は実際、幼少期に腕に大きな刀傷を負っています。
 ※西郷隆盛本人の写真・似顔絵などは残されていないと言われています。(現在に伝わるものは弟などの顔の特徴から想像して描いたもの)西郷の顔の特徴を書き留めた岡田さんの記録はとても貴重です。


 西南戦争の緒戦から最後の戦いまで従軍した兵の手記として、また西南戦争・西郷研究にとっても、興味深い資料であると言えます。



  〜追記〜
 ちょうどこの記事を作成している時、「山陽の矢掛宿という宿場町に〈篤姫〉が江戸へ輿入れする際に宿泊した記録が残っていた」というニュースを放送していました。これまで、輿入れは海路によったと考えられていたそうです。
 「今、篤姫がやっているけど、あなたの町にもこんな大変な資料があるんですよ」と、『西南戦争従軍記』の存在を島根県浜田市の方から教えていただき、このたび「飯南町だより」に掲載させていただきました。
 わたしたちの暮らしている地域にもまだまだ知らない歴史がたくさんあることを実感しています。

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