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飯南町だより
 ◆飯南町だより

 国産ワイン第1号 〜藤村雅蔵の挑戦                                   

 彼らは 前をのみ 見つめながら 歩んでいく。
 登っていく坂の上の青い天に もし一朶の白い雲が輝いていたとすれば それのみを 見て 進むだろう。

 
 司馬遼太郎は明治という時代の高揚とその時代に生きた若者の情熱を小説「坂の上の雲」で描きました。NHKのスペシャルドラマも始まっていますね。


 明治時代、ここ飯南町にも、ただ前のみを見つめて奮闘した一人の若者がいます。彼の名は藤村雅蔵。彼の挑戦は「ヤマブドウ」から国産ワインを造ること、そしてワイン醸造を地域の産業として事業化することでした。


 幕末、広瀬藩士(注1)であった藤村雅蔵は藩命により、赤名御番所(島根県飯南町赤名)へ赴任します。
 

 明治維新前夜、国産ワインづくりをスタートさせた藤村は、飯南町頓原に住いし、明治2年ごろ、日本初の国産ワインの醸造に成功するのです。

 明治8年には、ついに自作のワインに「醸造許可願」「許可後三年間の無課税醸造許可願」を添えて、政府内務卿大久保利通あて、申請するに至りました。
「ヤマブドウ」
今からおよそ1300年前に編纂された『出雲国風土記』にも、飯南地域の山々に自生していたことが記されている。


 当時の資料である『松江藩布達』からは、彼のワインづくりが決して順調でなかったことを伺い知ることができます。明治3年、ワインの醸造成功に目を付けた松江藩(注2)は藤村に援助を行いますが、明治4年の「廃藩置県」によって松江藩は廃藩。うしろだてを無くし事業化を諦めかけた藤村でしたが、フランス人ワレット(旧松江藩砲術教師)の助力を得て、ワインづくりを継続、ワインの品質、生産技術に磨きをかけ、明治8年の許可申請に至ったのでした。
 
「松江藩布達」(写)


 本場と言われる山梨でワインの醸造に取り組み始めたのが明治3年秋(醸造成功は明治7年との説もあり)、同じく山梨に県立のブドウ酒醸造所が設立されたのが明治9年ですから、藤村の挑戦がいかに先駆的であったかがうかがえますよね。
 社会の価値観・構造が一変していく激動の幕末から明治という時代。逆境の中にありながら、10年にわたって「ワイン醸造」に取り組んだ彼の挑戦は、一途に志を成し遂げようとする「坂の上の雲」の主人公達の生き方にオーバーラップします。
 

 藤村雅蔵。
 明治時代にこんな挑戦をした人がいたんだなぁ〜・・・この地域に生きる者の胸を熱くします。
 彼の業績は、「国産ワイン醸造第1号」という「快挙」であることは言うまでもありませんが、今を生きるわれわれにも勇気を与えてくれる「快挙」だと感じずにはいられません☆ 




注1 広瀬藩3万石は1666年(寛文6)に松江藩から分地されたもので能義郡(32村)と飛び領地の飯石郡(24村)からなる。藩庁は広瀬(安来市広瀬町)に置かれた。
注2 松江藩は明治3年に横浜に「日本醸造ビール会社」を開設しビールの醸造・販売を行った歴史をもつ。

※参考文献
「藤村雅蔵による国産ワイン醸造の起源について」(勝田章 2003 日本ワイン学会発表論文)
「松江藩布達」(『自明治二年至明治四年島根懸歴史資料』)
「広瀬藩給帳」(『広瀬内藤家文書』)
『広瀬藩士族卒禄高取調帳』(明治4年)
『松江余談』(松江まちづくりプロジェクト 1988)

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