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飯南町だより
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  魅力いっぱい!! 琴引山(ことびきやま)へ行きましょう☆                      

 小学校の遠足、夏のキャンプ・冬はスキー、子どもが産まれたなら、健やかな成長を願って親子で登山。春になれば、琴引山から田の神が降りてきて麓の農地に恵みを与える。琴引山は古くから我々の生活に結びついてきました。

 飯南町民にとって、とてもなじみ深い山である琴引山ですが、琴引山の深〜い歴史から、まことしやかに囁かれるうわさまで琴引山に関する「あれこれ」をまとめてみました。魅力いっぱいの琴引山へ行きましょう☆(今年の琴引山はイベント盛りだくさん〜琴引山まつり『琴の縁』も開催されますよ)

 琴引山は出雲大社社地選定・出雲国づくり構想の地
 『古事記』は根の国からスセリ姫を連れ、太刀・弓矢・琴を持って、スサノオのもとから逃亡するオオクニヌシの姿を描いていますが、琴引山はその後のお話。
 『出雲国風土記』は「琴引山」の地名由来を「オオクニヌシの琴があるから」と記載していますが、オオクニヌシは根の国から逃げ帰った後、琴引山にスセリ姫と登り、岩屋にこもって、琴を奏でながら出雲国の国づくりについて考えを巡らせました。さらに琴引山の山頂からは、遠く出雲平野を眺めこれから鎮まるべき場所を現在の出雲大社の地に定めたという。
 琴引山はオオクニヌシによる出雲の国づくりの原点なのです。




 こちらのイラストは「琴引山」のPRに使用されているものです(飯南町在住絵本作家かげやままきさん作)が、スサノオのもとから逃げるオオクニヌシが琴・太刀・弓を持っている姿を描いています。


 琴引山は出雲王国終焉の地
 『出雲国風土記』によると、この山(琴引山)の岩窟にオオクニヌシの琴があるから琴引山と呼ぶのだと古老が言ったと記載されています。
 
 この記述を注意深くみると・・・「琴引山」は「琴弾山」ではない。つまりオオクニヌシが琴を弾いたのではなく、オオクニヌシの琴を引いた(引退した)山であるのだ!という説が提起さえ、話題を呼んでいます。
 琴は古代、神の意を伺い、神力の象徴とされたとても意味のあるものです。
 その「琴」を出雲国の辺境の地に位置する琴引山の岩窟の奥深くに納めることによってオオクニヌシの政治権力・出雲国的祭祀の象徴を封印したのだと。
 出雲の国譲り神話や荒神谷遺跡(出雲市)における銅剣・銅矛の埋納の事実と比較して考えると更に興味深いお話ですよね。さらに琴引山は出雲国辺境の地にあると言いながら稜線を他国の国境に接していない山。山の裾野まで出雲国のうちにある山というのも何か意味ありげですよね。



 「オオクニヌシの琴が隠された岩窟」 候補地の一つ「大神岩」


 子どもの病気平癒に霊験あらたか!!
 飯南町では子どもの「疳の虫」「ひきつけ」を「ちりけ」といいます。
 琴弾山神社は、古来より、この「ちりけ」封じに霊験あらたかとして、お祭の日には、幼い子どもを連れた親子で賑わっています。



 赤ん坊を背負って参拝される方も多数。琴弾山神社は琴引山(標高1,013m)の頂上近くにあるので、親御さんも大変です。



 オオクニヌシの琴はどこに?
 『出雲国風土記』が伝えるオオクニヌシの琴があるという岩窟はどこなのか?古来より何ヵ所かの候補地が現代に伝わっています。
 みなさんはどう思われるでしょうか?

 第一候補は、琴弾山神社そのものというご意見。琴弾山神社は巨岩の奥に鎮座しており、まさにここが聖域といった感じは今も変わらず最有力といった感じ。
 次には先述の「大神岩」。『出雲国風土記』研究の第一人者である加藤義成さんも、この大神岩を推します。数十年前には実際、この岩の中に琴があったよ!といわれる現代の古老もいるほど。
 




 第3の候補地はこの←↑「穴神琴弾岩」という場所。お社も祀られていてその右側には洞窟があります。
 
 左の写真は洞窟内部を写した貴重なもの。狭い入口とは裏腹に中は意外と広い様子。石が階段状に下部へ向かって削られていて、その先には・・何だかあるようですが・・・(やや恐なので以上!)

 



 山頂 謎の宝きょう印塔
 琴引山は1,013m。その山頂には、いつ誰が建てたのか?不明な宝きょう印塔の礎石部分が今も残っています。
 一説によると、出雲国・石見国・備後国が見渡せる琴引山の山頂にこれらの領域の支配者として君臨した尼子経久が戦の必勝を祈願し建てたものとも、同じく戦国時代、毛利元就の大軍に尼子氏への忠義を貫き、琴引山の要塞にたてこもって奮戦、討死した烏田勝定を弔うものとも言われています。
   


 写真左は現在の宝きょう印塔。右は昭和30年代に撮られた山頂の宝きょう印塔の写真。宝きょう印塔の上から3番目、笠(階段状の刻みがついた三角の部分)にあたる部分まで残っています。



 調査最終年度!でるか琴引山発掘調査
 國學院大學は平成20年度〜23年度の3年間、琴引山の発掘調査を実施しています。
 調査最終年度の今年は9月1日〜10日までの10日間、現地での発掘調査が行われます。

 琴引山はオオクニヌシの琴を納めた山として出雲国風土記の時代から認識され、古代以前から何らかの信仰があったはず!
 平安時代には修験道の聖地として宿坊が軒を連ねたとも言い伝えられ、実際、現在町内には「琴引山から降りてきた」という寺伝を持つ寺院も数件残っています。

 昨年度の調査状況




 琴引山山頂付近には不自然な平坦地がたくさん残っており、このあたりに寺院・宿坊があった可能性が大。今年度は写真の平坦地を発掘する予定!
 成果報告が楽しみですね。




 中山通郷(琴主)奉納「八雲琴」発見!?
 「八雲琴」とは・・・
 江戸時代(1820年ごろ)、伊予国の中山通郷(別名:中山琴主)が出雲大社の霊夢のお告げにより、現代によみがえらせた古代の二弦の琴(天詔琴:あめのぬごと オオクニヌシがスサノオのもとから持ち出した神器)を言います。
 中山通郷は、八雲琴の創始者として出雲大社を訪問した際、琴引山の存在を知り、琴引山にある琴弾山神社に参拝し八雲琴を奉納したと言われています。そして、近年、その琴の存在が確認されたというのです。





 写真が中山通郷が奉納したとされる由緒の「八雲琴」。 
 「二の弦に神の御霊のこもるらむ 琴引山の松風ぞ知る」 伊予国二名島乃産 八雲琴の祖山中八雲宿禰琴主 
という歌も添えられています。
 通郷奉納の八雲琴。真偽のほどやいかに!!

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