本文
長者原古墳は飯南町下赤名に所在し、「駒競古墳」とも「京楽古墳」とも呼ばれています。一辺18メートルの正方形の方墳で、古墳の墳丘に造られた2段の平坦面を現在も確認することができます。町内の古墳の中では最もよく原形をとどめている古墳で町指定史跡に指定されました。
内部の構造や副葬品は確認されておらず、詳しいことは不明ですが古墳の形から古墳時代終わり頃(7世紀)に造られたものと考えられています。
赤名、来島地域の検地帳を含む近世古文書24通が指定を受けています。
飯南町都加賀地区において実施されたほ場整備工事中に発見されました。近世高殿たたらの地下構造が発掘調査され、長軸およそ10メートル、短軸4メートル、深さ2.3メートルの掘りかたの中に本床・小舟などの防湿構造がつくられていることがわかりました。
18世紀後半期の出雲地方におけるたたら製鉄の標準を示すもので、発掘調査後、埋め戻して保存されています。
下赤名村を中心とした近世文書と幕末期の製鉄関連の文書、合わせて12通が指定を受けています。
この刀は天正7年(1579)に備後国三原に住む貝正近が金屋子神社(飯南町上来島)に奉納したものです。刀鍛冶の家に生まれた正近は、金屋子神社にて17日間の断食祈願を行い、家伝の技を我ものにし、解願の印として刀を奉納したことが記されています。
鎌倉時代末期から室町時代末期にかけて備後国に住む刀匠の刀剣を「三原物」と呼んでいます。この中で本拠地を三原へ移行し作刀を行った集団があり、特に室町末期のものを「末三原」と称していますが、この指定の刀もこれに属すると考えられています。
【制作年代】天正6年2月
【刀長】59.5cm
【反り】2月5日cm
江戸時代の井戸谷村、塩谷村の名寄帳、検地帳、反別帳などの古文書、15通。近世の村落構造を知る上で貴重な資料であるとして町の文化財に指定されました。
赤穴八幡宮の大元杉は樹齢1000年とも言われる二本の大杉で「夫婦千年杉」とも呼ばれています。どちらも樹高約30メートル、幹周り約4.5メートルを測ります。町内でも屈指の巨木で町の天然記念物に指定されました。
主幹のいたるところから枝分かれして生い茂る力強いその姿は、風雪に耐え長い年月を生きてきた生命力を感じさせます。