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展示品紹介(雪わ)

ページID:0005383 更新日:2022年10月1日更新 印刷ページ表示

雪わ

(No.132)

雪わ(No.132)

縦34cm・横22cm
外枠材にカナカズラ、組みひもに縄を使用し、大正6年に邑南町(旧瑞穂町)で製作されたもの。

楕円形で反りはなく、内側はワラ縄によって横三文字・八隅取りの方法で組まれている。

 

No.121

雪わ(No.121)

縦34cm・横19cm
外枠材にエンジュ、組ひもに牛皮を使用し、大正7年に庄原市高野町で製作されたもの。

エンジュの木でつくられた外枠は足型で反りがつけられている。「かんこつまご」と呼ばれる足の指の股がなく先端の丸いつまごと「わらじ」を組み合わせたものとセットで使用された。広島県側に多いとされる。

 

No..133

雪わ(No.133)

縦30cm・横30cm・厚さ4cm
ワラを材料とし、飯南町頓原で昭和10年に製作されたもの。

米俵に使用するサンダワラに縄をつけたもので、サンダワラ雪わともいう。新雪を踏んで道を開けるために使用されたもので付属の紐を手で引っ張り、「雪わ」を上下させて歩いた。

道踏みの思い出

 静かで空気がしまった雪の朝は履いた雪ぐつが心よい音をたてて雪にきしみます。くつが真新しい新藁のくつだとなおのことです。そのまま新雪の心よい感触が素足にも伝わってきます。

 もう50年にもなります。長着に雪袴をはき袖なしを着、膝下まである雪ぐつを履いて、毎朝のように道踏みをして来る近所のおばさんがいました。頭から黒のバラを二つ折り三角にして被り、垂れた両端を両手で合わせて押さえ、時にはマント、頭布で隣から私の家まで道踏みをするのです。家内で耳敏く聞きつけた祖母が「お菊さんかな、信さんかな」と独り言のように言いながら、自分もそそくさと雪ぐつを履き、必ず竹ぼうきを手にして出てゆきました。

 しかし何時もこの程度の新雪とは限りません。新雪も1メートル近くになると女の道踏みではかなわなくなります。すると手拭の頬被りで古びれたドンタクやソフト・クサボウシを被り、つまごわらじに蓑姿の道踏み男が雪輪をはいて姿を見せるのでした。

 「波さん」は木挽職の中年の小男で大の酒好き・山行きが多いせいか平素、近所づきあいは少ないのだが、大雪になると気が向けばふと出かけてくる。3、400メートル奥まった谷あいの家からお菊さんの家の背戸を廻って道踏みをしてくる。今朝は何時になくよく降った。これでは女の道あけは無理と思っていると蓑擦れの音をさせた波さんが姿を見せる。そして聞こえよがしに「なあんと降った」「よう降った」などと独り言を言う。祖母が障子を開けて「波さんお世話になって」と言葉をかけると待っていたとばかりに足を止め、まわりの雪を雪輪で踏み固めておき、そぞろに腰蓑の下からダラを抜き出して一服つける。そして決まったように今朝の奥山の大雪を幾分誇張気味に告げるのでした。

 波さんの雪踏み動作は板に付いたもので、さすが雪山を歩き回る男の美事さがありました。それは雪に対する馴れた一分のすきもないといった見つくろいで実に歯切れのよい雪輪さばきで踏むのです。グイグイと力強く、左右の雪輪を交互に前に踏み込みます。その度に雪輪は粉雪を巻き上げながら大きくしかもゆったりとした左右に放物の線を描くのでした。

 中国山地では北国に見るような「道踏み札」を用いる例は少ないけれど、今でも隣から隣への雪道あけは新雪のたびごとに踏み継ぐのが慣わしです。

勝部 正郊
(『頓原町民俗資料館解説書』第2集「雪輪」 1985 より)

道踏み​(『頓原町民俗資料館解説書』第2集「雪輪」)