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その他文化財(3)

ページID:0006102 更新日:2023年1月17日更新 印刷ページ表示

その他文化財

吹ヶ峠(ふきがたわ)

 飯南町上区の小才田集落と都加賀の隠岐原集落を結ぶ峠を吹ヶ峠と呼んでいます。
 頓原(飯南町頓原)と恩谷(雲南市掛合町波多)とを結ぶ晴雲トンネルが貫通し、昭和39年に頓原有料道路(現在の国道54号)が開通するまでは「吹ヶ峠」(ふきがとうげ)は赤名峠と並ぶ雪の難所として知られていました。

 吹ヶ峠を越す道は明治時代の道路改修の際に開通した国道で、荷車の通れる勾配の緩やかな道として造られました。山の斜面を幾たびも折り返して登る九十九折れの道は「頓原いろは坂」と呼ばれ、大正天皇が琴引山を眺められた場所と伝えられています。

 頓原の市街から吹ヶ峠へ続く「明治の道」には道の側面を支える石垣がよく残っています。また「ツキタテ」と呼ばれる石づくりの橋は、外国人技師の設計により明治20年ごろに造られたものと伝えられ、水路部分に架かるアーチがとても見事です。

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  ツキタテ(1)    ツキタテ(2)    吹ヶ峠の地蔵尊    吹ヶ峠へ続く道

比丘尼塚古墳

 比丘尼塚古墳は飯南町八神に所在します。直径およそ15メートルの円墳(方墳であった可能性も指摘されています)で、7世紀ごろ造られたと考えられています。墳丘は南側がかなり改変されていて、内部の横穴式石室の天井石が露出した状態となっています。横穴式石室は、長さ7.1メートル、奥壁幅1.6メートルと細長く一直線につながっており、無袖式と呼ばれるものです。石室の特徴から石見地方や山陽側との関係が指摘されています。

 弥生時代から古墳時代にかけてこの地域の拠点的集落であった森遺跡(飯南町八神)に関係する村落の首長墓ではないかと考えられています。
 昭和49年に町の文化財に指定されています。

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力猿

 飯南町獅子と八神を結ぶ間の国道184号は神戸川と山裾を縫うようにして走っています。その山側のがけの上には「力猿」と呼ばれる石でできた像が置かれているのをご存知でしょうか?
 明治の頃、山を削って道を造る際、この辺りは落石が治まらず工事が難航していました。そんな折、地元の那須竹松という人が、明眼寺(飯南町八神)から桧造りの猿に似た像を貰い受け、落石が続く岩の間に決死の覚悟で据え付けました。そうしたところ、岩の崩落は不思議となくなり、道路完成に至ったということです。

 明眼寺にあった桧造りの像は「リキ」というお釈迦様を守る神様です。村人たちは、その姿があまりに猿に似ていたため、また巨岩を支える怪力の持ち主という意味を込めて「力猿」と呼ぶようになりました。
 現在は、木彫りの力猿に代わって、地区の方々の募金によって造られた石製の猿が力猿の2代目として道路の安全を守っています。

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       初代力猿                 二代目力猿

中原古墳

 中原古墳は飯南町八神に所在します。志津見ダム建設に伴い平成8年に発掘調査が行われました。調査では、全長5.2メートル、最大幅1.35メートル、高さ1.5メートルの横穴式石室が確認されました。また、墳丘などで須恵器の杯蓋や高杯などが出土しています。出土した須恵器から古墳の築造は7世紀前半ごろと考えられ、直径はおよそ12メートルの円墳だったと推測されています。
 比丘尼塚古墳と同様に、弥生時代から古墳時代にかけての拠点的集落である森遺跡と結びついた人物が埋葬されたと考えられています。
 発掘調査後、石室は解体されることなく、墳丘を復元し埋め戻されました。平成13年には町の史跡に指定され、周辺には案内板・駐車場なども整備されています。

弓谷たたら跡

 弓谷たたらは平成10年に発掘調査された製鉄遺跡です。この調査では砂鉄と木炭から鉄をつくる日本古来の製鉄法である「たたら製鉄」の様子が明らかになりました。発掘調査された高殿たたらの地下構造は全国最大級の規模であることがわかりました。

 弓谷たたらは『新修島根県史』によるとこのたたらの経営者であった田部家(雲南市吉田町)が寛政12年(1800)に懸合村(雲南市掛合町)井原谷から弓谷(飯南町志津見)へ炉を移転させ天保10年(1839)に朝原村(出雲市佐田町朝原)へ移すまで40年間にわたって稼動していたことがわかっています。さらに天保10年(1839)に稼動を停止した22年後の文久2年(1862)に再度操業を開始し、明治22年ごろまでは生産を続けていたようです。製鉄遺跡の操業年代がわかる事例はたいへん少なく貴重な発掘調査になりました。

 弓谷たたらの製鉄炉は7メートル間隔の4本柱で支えられた直径20メートルの円形の建物中にあったと考えられています。地上の製鉄炉は一回の製鉄が終わると壊してしまうので残っていませんが、地下構造(地上の製鉄炉に地下からの湿気が浸入してこないように製鉄炉の地下に造られた防湿構造)の規模などから長さ3.2メートル、幅1.4メートル、高さ1.2メートルの角型の炉であったと推定されています。

 地下構造はおよそ13メートル×6メートル、深さ3メートルの区画に、石や粘土で空洞や排水施設を造ったり、木炭を敷き詰めた層を重ねたりしながら何層にもわたって精密に積み上げられていました。トンネル状につくられた空洞の壁面には木材の跡が残り、燃焼材とした木材を粘土で覆った後、焼きぬくことで空洞部分を作り出した様子が伺えます。

 この遺跡には製鉄炉の他に、製鉄炉の中にできた鉄塊を冷却する鉄池(かないけ)や、事務所的な施設であった元小屋(もとごや)などの施設もあわせて発見されました。製鉄炉を中心とし諸施設をあわせて、たたら場を「山内」(さんない)と総称することがありますが、弓谷たたらでは、製鉄炉を中心とした山内施設とその関係が明らかになった点においても大変貴重であるといえます。現在は地下構造のおよそ半分が保存され、埋め戻されています。

1弓谷たたら跡地地下構造

角井八幡宮(つのいはちまんぐう)

 角井八幡宮は飯南町角井にあります。創建年代は不明ですが元宮は三瓶山の麓にあったといわれ、田の神を祀る古社であったと伝えられています。現在は「大永四年(1524)社殿再建」と書かれた棟札が残っています。
 主祭神として、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・武内宿禰(たけのうちのすくね)・面足命(おもだるのみこと)を祀っています。

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       角井八幡宮               角井集落と三瓶山

 

 角井八幡宮には古くから田の神をまつる田植祭りが伝承されています。この神事は、田仕事が一段落する農休みの旧暦の6月15日に地元でサンバイと呼ばれる田の神をまつり、豊作をお祈りするものです。
 拝殿での神事に続き、はやしこ(田囃子)を先導にした宮巡りが終わると、拝殿前の庭では「牛の代かき」「田植え」「萱叩き」など農作業の様子を再現した儀式が行われます。素朴な田の神祭りの形態を残しているこの神事は、「角井八幡宮の御田植神事」(つのいはちまんぐうのみたうえしんじ)として町の指定文化財となっています。

 特にカズラで編まれた「草の冠」をかぶった人間が牛に扮し、牛のはく吐息の表現といわれる「ハラハラハラハラ」という文句を唱えながら行う「牛の代かき」の場面は全国的にも貴重なものといわれています。
 現在、御田植神事は7月15日に近い休日を選び、「角井はやしこ保存会」が中心となって執り行われています。

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   御田植神事「早乙女の田植え」           「牛の代かき」