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いいなんキラリ(2)

ページID:0006144 更新日:2023年1月23日更新 印刷ページ表示

いいなんキラリ

烏田権兵衛(からすだごんべえ)と加田の湯

「当世において珍しいほどの忠義の士である、彼のような人物が私の見方についてくれたならどれほど心強いだろう」   ・・・これは毛利元就が烏田権兵衛勝定について評した言葉です。

 1562年、毛利元就は中国地方の制覇の総仕上げとして長年の宿敵であった尼子氏を討つべく大軍を出雲地方に差し向けました。尼子方であった多くの武将が毛利側に寝返り、尼子氏は風前のともし火といった状況になりつつありました。毛利の軍勢が瀬戸山城(飯南町赤名)に迫るなか、赤穴右京介(久清)の籠る城中では、40年来仕えて来た尼子方に味方するか否かの激論が交わされていました。今の状況で、毛利軍と戦っても利なく、毛利方への降伏に決しようとしていたその時、昂然として反論する二人の武将がいました。

1​【瀬戸山城址】(飯南町赤名)

 「我々は古来、尼子家に仕え、禄を受け、我々の代に至るまで二心なく仕えている。今、たまたま石見の国が毛利に切り取られたからといって矛を逆さまにして毛利に降参することは武士の本意にあらず。」
烏田権兵衛と森田左衛門は尼子氏に忠義を尽くすべきだと主張し、とうとう「入日の尼子を見限り、日の出の毛利つくような臆病者に組することはできない。」として瀬戸山城を出て毛利軍に戦いを挑む選択をしました。

 烏田と森田は賀田城(飯南町下来島)などを拠点に、赤名に着陣した毛利軍の陣を襲ったり、神出鬼没の戦いで進軍を妨害しました。数回にわたって掃討の軍を送った元就でしたが、失敗に終わる状況を見て、しびれをきらせ、烏田・森田のかつての主君であった赤穴右京介(久清)を呼びだし、問い詰めました。
「反乱を率いるはそこもと譜代の家臣と聞く、この不祥事にもかかわらず、率先して鎮圧に当たられないのはいかなることか」

これに対し、赤穴右京介(久清)は毅然と、また、ありのままに申し立てました。
「確かに両人は、わたくしの家臣であります。しかしながら、彼等は、恩顧の尼子家に忠義を貫き、武士としての道を貫いております。主従の関係ではなくとも、人道の正しきは彼等にあって非義は私にあります。今は敵対する関係となりましたが、私が忠義一途の両人を討つ事はできません。」
 元就は、しばらく沈黙した後、こう答えました。
「貴殿が私どもに降参されたことは確かに武士の本意ではない、彼等の守る義にこそ理があって当然である。誠にあっぱれなる主従である。」

 やがて烏田権兵衛は討ち死にし、森田左衛門は尼子氏を頼って退き、一揆の軍勢は鎮圧されましたが、彼等についてを元就は家臣にこう語ったといわれています。
「右京介は古今の義者、烏田、森田は伯夷・叔斉なり。この人傑、味方に属しては末頼もしき事なり。」
                               【烏田権兵衛勝定碑と伝来の槍を持つ25代烏田家当主】
 烏田権兵衛の忠義心に感服した元就は、権兵衛が討ち死にした後も、烏田家が存続するよう取り計らったと伝えられています。 

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『尼子毛利合戦雲陽軍実記』 勝田勝年 校注『新雲陽軍実記』妹尾豊三郎 編著 を参考にしています。


 賀田城のふもとの神戸川沿いには烏田権兵衛も傷を癒したと伝えられる温泉が今も湧き出しています。
 この泉源は赤来町母子健康センターの浴場に利用され、温泉通の間ではガイドブックに載らない名湯として人気を博しました。
 2004年には、同所に「加田の湯」という健康増進施設がオープンしています。オープン以来、たくさんの入浴客で賑わう加田の湯を訪れてみました。

 レトロな銭湯を思わせる独特の外観はどこかなつかしい感じを抱かせます。中に入ると吹き抜けの高い天井が美しく、力強い木組みが目を引きます。板張りの床も素足に心地よく、清潔感があって温かい印象です。通路やコーナーには、至るところに地域の息吹が感じられる生花や民具を使った飾りつけがしてあり、それを順番に見ているだけでもうれしくなって来ますよ。

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 烏田権兵衛にちなんで男性は「ごんべえの湯」、近くの桜の古木「祝原の桜」にちなんで女性は「さくら姫の湯」という名称がついています。
 加田の湯の特徴は、何といってもその「お湯の良さ」にあるようです。
 なにはともあれ
 「加田の湯ファン」の声をどうぞ。(実際にお話を伺ったものですので。念のため。)
ファンAさん:「ずっと膝が痛くて困っていたんですが、加田の湯に入った後は、床に着くまで痛さがなく、ぐっすり眠れるようになりましたよ。」
☆すごいですよね、こんなに分かりやすくお湯の効能を実感されている方がいらっしゃるとは!!
ファンBさん:「加田の湯までは、往復3時間かかるけど、毎週1回は必ず来ています。」
☆帰るまでに湯冷めするんじゃぁ?いえいえ、加田のお湯はそんなことないようですよ!!

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秘密(1) お湯が濃い

お湯は茶色で湯舟の底は全く見えませんし、湯舟の周りにはお湯が酸化した沈着物がびっしりくっついています。やはりお湯の成分が濃いのではないでしょうか?この濃さが効き目につながっているに違いありません。
 温泉のお湯の継ぎ足しをやめ、しばらくそっとしておくと・・・空気に触れた表面にうっすら膜ができています。 指でかき混ぜるとこんなかんじ→ → →   (・・・すごい!!!)

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秘密(2) 少しぬるめ

 お湯の温度を多少ですが、ぬるく調節してあるります。源泉に含まれる成分、特に炭酸成分を保つために熱くしすぎないのだそうです。
 活きた温泉成分がしっかり体に吸収されるよう、ぬるめのお湯にゆっくりつかりながら忠義の士烏田権兵衛に思いを馳せてみるのもおつなもの。
 お湯は39℃~40℃くらいに保たれているそうです。

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秘密(3) 癒しの空間

 加田の湯の浴室は露天風呂もありませんし、けっして大きいとはいえないかもしれません。
 しかしながら、毎日、加田の湯で会わないと、「具合でも悪いんだろうか?」と心配しあうような地元の人たちの重要な日課の場として温かい雰囲気でいっぱいです。今日あったことから、明日の予定まで、会話の種に困ることはないみたいですよ。
 「たかが風呂ばた、されど風呂ばた」な、お話に皆さんも耳を傾けてみませんか?

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 加田の湯の魅力伝わりましたか?ウソは決して書いてないつもりですが、検証の方は、みなさんにお任せとさせていただきます。加田の湯の魅力は人それぞれ、自分なりの魅力を発見して下さいね。
 加田の湯ではお食事や宴会、地域の特産品の販売、なつかしい昭和の写真パネル展もしていらっしゃいますよ。
 所在地や営業時間など詳しい情報をお知りになりたい方は加田の湯ホームページ<外部リンク>でご確認下さい。

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